無趣味な私が無趣味でいる理由。

先日、とても趣味が多くて

とても楽しそうに趣味の話しをされる方と話していて、

うらやましいな、と思う反面、

なぜ私はいつも無趣味なのだろう??と思いました。

 

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小学生ぐらいの時は、

趣味が多すぎて、毎日何かの習い事をしていた。

月曜日は習字、火曜日は水泳、水曜日はピアノ・・・。

月~土曜日までびっしり習い事をしていました。

 

今思えば、そんなにやってよく疲れないなと

思うんだけど、特に辛いと思ったことは無かった。

 

でも、中学生ぐらいになると、

途端に無趣味になった。

 

部活でテニスをしていたけど、

趣味というよりは、”部活だから”という

義務的な理由で続けていたように思うし、

クラスの女子たちは、ジャニーズにワーキャー言っていたけど、

私はそこまで興味が持てずに冷静に見ていたし、

何かにハマった記憶はあまり無い。

 

そうそう、振り返ってみると、

中学ぐらいから、趣味が無いです。

 

それで、小学生の時と何が違うかと考えたら、

ココにたどり着きました。

 

『自分の人生を意識した時から趣味が無い』ということ。

 

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中学生の頃から、

学歴命だった父のスパルタ教育により、

良い高校に行って、良い大学に入ることが

良い社会人になる為の道だと信じ込んでいました。

 

だから、中学生になってそれ以降は、

遊んでばかりはいられない、と強く思うようになりました。

いつでも『勉強しなきゃ』という思いがありました。

 

ちょっと勉強したくらいで

良い点数を取れるほど、頭が良いわけではなかったので、

かなりの時間を勉強に費やさないと、

とても受験に成功しそうにありませんでした。

 

そうなると、部活や趣味なんかしようものなら

”そんなことしてる間に勉強しないと・・・”と、

私のどこかから声がするのです。

 

成人した今でも、それは変わらない気がします。

 

”遊んでいる間に、稼げるようにならないと・・・”

”こんなことして遊んでる場合じゃない!”

罪悪感にかられてしまいます。

 

だから、趣味が無いんじゃなくて、

持てなかった、または持てないんだと思うんです。

 

自分の人生をこうしていきたい、という思いがあって、

その為に自分が1歩でも進んでいないと、

趣味を楽しんでる場合じゃないよ・・・、

と思ってしまうのです。

 

つまり、無趣味な私は、

こうしていきたいと思う方向に進めていない

ということですね・・・。

 

でも、逆を言えば、

自分の進みたい方向に向かって進んでいれば、

趣味を楽しむこともできるんだと思います。

 

全く趣味が無いというのも

何か人間的魅力に欠けてつまらないですし、

趣味なんかやってる場合じゃないよ・・・と

罪悪感にかられないように、

自分が今進みたい方向に着実に進んでいきたいなと

思いました。

 

では、また!

 

やっぱり、私は稼げる人になりたい。

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『稼ぎたい』

 なんて、言ったら最後。

 

『稼ぎたい』と言っている人は、

人よりも、お金のことばかり考えてる嫌な人で、

『稼ぎたい』と言っている人から、

何かモノを買おうなんて思わない。

 

だから、

『稼ぎたい』なんて、

思ってはいけない、

願ってはいけない、

そんな風に思っている自分に気づきました。

 

でも、やっぱり私は今、

稼げる人になりたいです。

 

それは、

苦労している母を養えるくらいの財力がほしいから、

自分で選んだ場所に住みたいから、

時間に追われない生活がしたいから、

大好きな人たちと一緒にいたいから。

 

これらの願いを叶えてくれるのは、

稼ぐことだから。

 

『稼ぐこと』=『お金』がほしいわけじゃないです。

 

例えば、

稼いだのではなく、10億円ぐらいが

手に入ったら、私の今の願いは大抵叶う。

 

だけど、その10億円は、

一時期私を満足させたとしても、

満足させ続けることはできないと思う。

 

自分の人生を生きたいと願う私にとって、

稼がずに得られたお金は、私とは何も関係がない。

私の能力でもなく、努力でもなく、苦労でもない。

 

自分の能力を出し切って、

それに対する対価を得るという

『稼ぐこと』ができていないと意味がないのです。

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私は今、稼げる人になりたい。

 

そう言い切ってしまうことは、

何か罪悪感すら感じて勇気がいるけど、

結局、ここにたどり着いてしまうんです。

私の本当に今挑戦したいことは「稼ぐこと」。

 

夢を叶える過程は、

自分の殻を脱ぎ捨てるということでもあるよ

と言っていた人がいる。

 

言われたときはピンと来なかったけど、

今は、その言葉の意味がわかる気がします。

 

稼ぎたいんじゃなくて、誰かの役に立ちたいからやるんだと

良い感じに変えてみたり、

稼ぎたいなんて願っちゃいけないと思ったり、

そういう、自分の殻を1つ1つ脱いでいくことで、

自分が本当にやりたかったことに近づけるのかもしれない。

 

では、また!

 

「決める」ことから逃げ出したくなる自分。

先日、人生の方向性を決めるといいよ、

とアドバイスをいただいたので、

ここはいっちょ、人生の方向性を決めよう!と、

最近、方向性はどんなのが良いかな、と考えています。

 

そして、方向性を考えていると、

「決める」ということを避けていることに

気づきました。

 

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いざ、決めようとすると、

逃げ出したくてたまらないのです。

 

決めちゃったら、失敗したときかっこ悪いとか、

本当にそれが進みたい方向性なのかわからないしとか、

まだ決めなくてもいいしとか・・・

 

最終的には、

失敗したら嫌だから、選択肢2つくらい入った方向性にしようかとか

ずる賢いことまで考えだしたりして(笑)、

 

決めないように、決めないように考えている

自分がいました。

 

 

決めないことは、すごく楽なんですよね。

 

決めなければ、選択肢のいずれに行っても

柔軟に対応できるし、

失敗しても、他の選択肢が残っているから

傷つかないですみます。

 

それはそれで、必要とされる場面もあって、

今までの私を何回も救ってくれたことがあります。

 

でも、決めないと、

出足が遅れたり、

無駄に時間がかかったり、

進みたい方向に進めなかったりする場面もあって、

悩みを深めています。

 

 

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これまで決めないことに慣れてきた私ですが、

それでも、人生の方向性は決めておいた方が

良いんじゃないかと思っています。

 

それは、ただ何となくでも生きてしまえるのに、

1秒たりとも、後戻りできないからです。

 

人生の目的は、

たぶん、私は一生わからないと思っていて、

最後の最後にこれかな?とわかるぐらいなのかもしれないから、

それなら、

自分の人生は自分が考えた通りに、やりたいように、生きた

言える人生にしたいと思うのです。

 

なんとなく生きていたんだ~、じゃなくて、

○歳~○歳はこんな思いで、こう生きていた、

○歳~○歳は、これがやりたくて、これをしていた、

そう言える人生にしたい。

 

その為には、”こういう考えで”とか

”こういう思いで”、に当たる

『方向性』を決めて生きていくことが

必要なんじゃないかと思っているんです。

 

ということで、今は逃げそうになる自分に

必死に喝を入れて、どういう方向性で生きていきたいのか、

日々考えています。

 

決まったら、怖いけど、宣言してみたいと思います(;^ω^)

 

では、また!

 

 

 

 

 

 

 

小さなサイズ感にしっくりきている。

今、すごく小さなサイズ感が

気に入っているんです。

 

例えば友人関係。

多くの人とさらっと付き合うよりは、

1対1の小さく深い関係の方が好き。

 

それから、働く場所。

現在は20名程度の小さな企業。

でも、みんなの顔や性格がわかって、

話しやすい環境があるこの小さなサイズが好きです。

 

大企業は、

大きくなればなるほど、

当然社員一人ひとりの顔はわからないし、

組織化され、理解しにくいルールが増え、

自分の理解しきれる範囲を超えて、

ビジネスが動いているように感じます。

 

私は、今、その大きなサイズには入りたくないのです。

 

それから、働く場所だけじゃなく、

ビジネスも。

 

例えば、もし会社員ではなく、

ビジネスをスタートさせることになったとしても、

小さいサイズでやっていきたい。

 

広げて大きくして、っていうのには

あまり興味がなくて、

小さくても自分のペースで進められて、

自分の手の届く範囲で動くビジネスであってほしい。

 

小さいからこそ、稼げる力も小さくなるし、生活するには効率良く稼げる必要がありますが…。

 

小さくて深いつながりのあるビジネスって

作れないのかな・・・、

そんなことを最近よく考えています。

 

では、また!

 

 

 

自分の苦手なことに気づく。

先日、カバン作りスクールに通い始めたのですが、

そこでまた新たな自分に気づきました。

 

それは、私は『人の話の理解力が遅い』

ということです。

 

スクールに通ったことで、久々に

先生1人に対し、複数の生徒さんで授業を受ける

という経験をしました。

 

先生が説明して、

それを踏まえて生徒が実習する。

 

ここで、私は全然生徒の皆さんのペースには

ついていけませんでした(笑)。

 

皆さんは説明を聞き終えて、

ささーっと行動を始めるのに、

私はいまひとつ理解できていなくて、

「もう1回説明してください」とか

隣の人に聞いたりしてました(笑)。

 

それで、はっと気づけました。

 

私、理解するスピードが遅いんだ~って。

 

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思い返せば、小学校の時に通っていた

学習塾で、あまりにもわからなくて、

しかも引っ込み思案で質問することもできず、

全然理解できないで成績を落としていました。

 

高校受験で通った塾でも、

最初はほぼマンツーマンの少人数の塾に行っていたので、

成績が上がっていたのに、

なぜか私はもっと実績があって有名な塾に行かないと

大学に合格できないと思ってしまい、

1人の先生に何百人もの生徒を抱える、大手の塾に通い始めて

成績を落としてしまいました。

 

何百人も生徒がいたり、

ネット授業みたいな、先生がその場にいない塾もあったので、

当然質問ができなくて、全く理解できていませんでした。

 

『聞いて理解するのが遅い』

という自分のクセがわかっていたら、

 

そして、そのクセを受け止めることができていたら、

 

もっと勉強の仕方は変わっただろうな~と

今は思います。

 

理解できてる、一流の塾に通えてる、

という変なプライドにしがみついて、

自分の苦手なことから目をそらしていたんだと思います。

 

ということで、今後のスクールは、

きっと理解するスピードが人よりもゆっくりなので、

復習をしっかりして、理解できてないところは

後で質問していきたいと思っています!

 

では、また!

 

 

 

 

 

 

 

自分以外の誰かになる必要は無い ー劇団四季「アラジン」を観てー

先日、劇団四季の「アラジン」を見てきました。

 

>>『アラジン』作品紹介|劇団四季

 

 

華やかな演出に、俳優さんたちのパワフルな動き、

美しい歌声、どれもこれもが圧倒的に素晴らしいですが、

 

それだけでなく、

そのストーリーから訴えかけられているメッセージは、

まるで自己啓発本を読んでいるかのようでした。

 

最近、自己啓発本ばかり読んでいるせいで、頭がそちらよりに

なっているんだとは思いますが・・・(;^ω^)

 

例えば、

「自分以外の誰かになる必要はない」

ということは、色々な場面で訴えられていましたね。

 

 

お姫様がきれいな宝石を目にして、”とてもきれい!”と

言っているところに、アラジンは

”宝石を付けてなくても、そのままで君は素敵!”

というようなことを言ったり、

 

貧乏なアラジンが魔法で王子様となった時、

お姫様に本当の正体(王子様ではない)を明かせず

苦しんでいると

”偽る必要なんてない。君、そのままでいいんだよ!”

と、ジーニーや友人たちに言われます。

 

他にも、

「何かに縛られず自由でいることの素晴らしさ」とか

「自由を獲得していくことの尊さ」など、

それらをストーリーに即して、訴えかけてもらったことで、

自己啓発本とはまた違った形で、

私の中に入ってきたように思います。

 

パワフルなエンターテインメント性と

人生哲学要素が満載のストーリーで

もう2回見たけど、あと数回は見たいと思える内容でした!

 

www.shiki.jp

 

https://www.shiki.jp/applause/aladdin/

 >>『アラジン』作品紹介|劇団四季

 

では、また!

 

 

夜の頭の異常な興奮状態に気づく。

最近、朝早く起きれる自分に変わりたくて、

スタンフォードの自分を変える教室」を

読んでいる。

 

 

この本を読みながら、

なぜ私は朝早く起きれる自分になりたいのに、

なれないのか?毎日考えている。

 

まず、なぜ朝早く起きる為に、

夜更かしを止めないのか、ということ。

 

それについては、以前書いたこともあるように、

平日の充実感が不足していることで、

夜にとりとめもなく考え事をしてしまうということ

が原因の1つです。

30moratorium.hatenablog.com

 

ただ、先日、またしても夜更かししたい

衝動に駆られている自分を観察したとき、

変な頭の高揚感に気づきました。

 

朝よりも、仕事前よりも、

どんなに睡眠不足でも、

仕事が終わって家にいると、

すごーく頭が冴えている感覚があるんです。

 

でも、いざ、ブログでも

書き始めようものなら、

全然考えがまとまらないし、眠いしで、

あっ、全然頭が働かないし、疲れてるんだ…

って気づくという、

変な頭の興奮状態があります。

 

そして、興奮状態の頭で

疲れてるから眠ろうとすると、

やっぱり頭が興奮していて、眠りが浅くて、

夜に何度も目を覚まし、

寝たいのに目を覚ますという変な状態。

 

パソコンの電源を入れっぱなしにすると

熱を持つように、夜は、

私の頭もオーバーヒートしてエラー気味なのかもしれません(笑)

 

自分が夜更かしをしたい、というその衝動に

駆られている時、

自分を見つめて見えたもの(脳の興奮状態)に

ちょっと驚きました。

 

無意識だけど、

日々パソコンを見続けたり、

仕事に追われたり、

いつまでも明るい電車内やスマホの影響で

頭が相当に興奮させられているんだと気づかされました。

 

このままだと、精神衛生上、良いことが

なさそうなので(笑)引き続き、

スタンフォードの自分を変える教室」を読んで、

自分を見つめていきたいと思います。

 

では、また!