”一生懸命頑張ります!”から卒業する方法

私が”何かを頑張る”と言ったら、

『ただひたすらにその対象に集中して、

ただひたすらに一生懸命になること。』

頑張るっていうのは、
私にとって
そういうことだった。

なぜなら、

今の自分以上の力は出せないし、
知りもしないやり方はできないし

今の自分で、
最善を尽くす、

それを行動にしてみた結果が、

ただひたすらに集中して実行する、

ということになって、



それが”頑張る”ということなんだと、


ずっとそう思って生きてきた。



そして、
そうやって頑張ることで、
周囲に頑張りが伝わり、
評価されたり、認められたりする、


そういうものだと思ってた。


・・・でも、

違った。


そもそも、
そういう問題じゃなかった。


、ということに気づかせてくれた
コチラの記事↓

bizgate.nikkei.co.jp



自分が知りもしない、
見たことも無い方法は、

実行しようがないのだから、
考えようともしなかった。


私が既に知っている、
思いついた方法の中から、
最善の方法を選択して、

ただただ、
ひたすらに走っていた。


でも、
その、的外れな”頑張り”を
世間は『空回り』と呼ぶのだろう。




そもそも、人が問題を投げかけるとき、
”頑張る”ことを望んでいるわけじゃない。

頑張らないよりは
頑張ってくれた方が良いけど、


本当に欲しいのは、

問題に対して、
的を得た結果なんだ。


問題に対して答えや結果を出すということ。
ココを見ないようにしていた気がする。

頑張るいい子は、
神様がきっと見ていてくれる、
という、
小さな時からの教えに
すがっていたと思う。



とは言っても、
問題をじっくり定義するほど
時間をとれないのが、
現代のスピード社会。

だとすると、
何が問題か?
何が目的か?
この答えにすばやく近づく力も
身に着けないといけないのかな~と
思う。


不器用なもので、
ひたすらに、がむしゃらに
一生懸命突っ走るのが取り柄です、

と言っていた私から
少しずつ卒業していきたい。

では、また!

やりぬく力と頑張りすぎない力。真逆の力に共通して必要なこと!

 


 

 

やり抜く力。意志力の強化。

 

に対して

 

限界まで頑張り続けない。

自分を大事にする。


 

 

この、パッと見、言いたいことが真逆の本を読んで、

共通するものなんて

ないんじゃないかと思っていたけど、

どちらにも書かれていたことがある。

 

それは、

『自分の心や体を休ませることの

重要性』

 

疲れた心と体では、

最良の判断はできない。

幸福感が薄れる。

集中力が続かない。

 

やりたいことがたくさんあっても、

やり続けることを考えるのではなく、

体と心を休ませる時間を持つことが必要

 

 

 

とはいっても、

やりたいことを成し遂げつつ、

休む時間もしっかり確保する。

 

真逆のことを、同居させるような、

これがなかなか難しい。

 

 

でも、休むことの重要性は、

自分が痛いほどよくわかっている。

 

仕事とプライベートが両立させたいという

目標があるにもかかわらず、

仕事90%、プライベート10%

ぐらいの力配分になってしまっていて、

 

仕事以外は、力を残せていない。

 

それなのに、何も成し遂げられない

うしろめたさから、

ついつい夜更かしをしてしまう。

 

結局、

睡眠不足になって、

仕事の効率が悪くなり、

残業が増え、

後悔して、

夜更かしして・・・・

の繰り返し。

  

ただ、がむしゃらに頑張るだけの姿勢から、

 

負荷を減らしながら、楽に

”できる”ようにする為の方法を模索する、

 

そんな、働き方への変化を

求められている時期のような気がしている。

 

ある意味、新しい自分に変わる

チャンスかなと前向きにとらえています。

 

では、また!

 

何もしない時間を作る勇気。

私の中には、

常に『何かやらなきゃ病』がある。

 

この休日に、何かやって人生を充実させなきゃ。

仕事じゃない時間を有意義にしないと。

通勤時間だって、何かできるはず!

 

そんなことばっかり考えてしまうのは、

自分の人生を良いものにしたいと

必死だからです。

 

だけど、やらなきゃやらなきゃと常に

思っているせいで、

 

「あー、またここで寝てしまったら

何もできない・・・」と思いながら

寝て、

 

「ここで見たいテレビを見てしまったら

何も成し遂げられない。。。」と思いながら

テレビを見て、

 

テレビを見ている時も、

寝ている時でさえ、

常に罪悪感で満たされている。

 

全く心が安らがない。

 

いつも、何か満たされない。

 

寝ても疲れが全く取れません。

余計に、動けなくなって、

また自分を責める悪循環です。

 

私の中にある、

力尽き果てるまで仕事をしてしまうクセと、

何かを成し遂げなきゃ病を

 

なんとか

うまく取り扱えるようにならなければ・・・。

 

 

そこで、

今、私の中で一番難しいのかもしれなけど、

『何もしない時間を作る』ことを

やってみようかと思っています。

 

何もしないことに罪悪感を感じる私は、

何もしないなんてできるのかわからないけど、

 

疲れて何もできないければ

意味が無い。

 

目の前のことに全力投球して

力が抜けない私には、

強制的に休憩を作る必要があると思う。

 

1日に1時間は何もしない時間を作る。

 

何もしない、

できないと言う、

頑張らないと言う、

どれもこれも私にとっては難しいけど、

 

何もしない時間を作る勇気を持とうと思う。

 

では、また!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頑張り続けるだけが、うまくいく方法じゃない。

私の今のところの目標は、

仕事とプライベート(今はブログ)を両立させること。

 

もっと、大きな目標は、

どこでも稼げる力をつけること。

 

どこでも稼げる力が身に付くように、

今はブログに力を入れたいのに、

仕事を終えて帰ってくると、

そんな力は、もうどこにも残っていない。

 

私がナマケモノなのか。

私の努力が足りないのか。

自分への甘えなのか。

 

いつも、こんなことを考えて責めて、

それでも、体も頭も動いてくれない。

 

そんな時にこんな文章が目に飛び込んできました。

 

成功は「回復の速さ」で決まる。
感情をもっとうまく扱う。

 

「自分を追い詰め、限界までやれば成功する時代」は終わったことが科学で証明された

 

コチラの本の紹介文です。

 

自分を大事にする人がうまくいく スタンフォードの最新「成功学」講義 [ エマ・セッパラ ] 

 

 

まだ、この本を読んでいないけど、

頑張り続けるだけが、うまくいく方法じゃないんだな、

って、何か目が覚めたような感覚でした。

 

私は常に、

目の前のことに全力投球してしまう。

 

仕事 と ブログ

このどちらも両立させたい。

 

仕事にもブログにも力を入れたいのに、

仕事を目の前にすると、

仕事を中途半端になんかこなせない。

 

もっと知識をつけたい。

もっと早く的確にできるようになりたい。

 

そして、仕事以外の時間は

力尽き果ててしまう。

 

力の抜き方を知らない。

”できない” ”やりたくない” なんて

言いたくない。

 

でも、うまく力を抜いていかないと、

両立なんてとてもできないことを、

自分がよくわかってる。

 

自分の力を、仕事とブログに

いかにちょうどよく振り分けていくか、

それが今の課題。

 

思わず買ってしまったこの本で、

力の加減がわかるようになるといいな。

 

自分を大事にする人がうまくいく スタンフォードの最新「成功学」講義 [ エマ・セッパラ ] 

 

それではまた!

威圧的な態度に反応しすぎない人でありたい!

新年度が始まって、

約3か月。

 

早くも、我が会社の新卒さんで、

出社できなくなってしまった子がいます。

 

どうやら、キツめに注意を受けてしまった

ことで傷ついてしまった様子…。

 

同じ部ではないので、

どんな事情があったのかわかりませんが、

新卒の子に、いきなりキツく言うのは

やめてもらいたいもんですね…。

将来もあるのだから…。

 

そんなことを思いつつも、

こんなことが気になってしまいました。

 

怒られて、踏ん張りがきくかどうか?

 

踏ん張りがきく人と

きかない人で何が違うのかな~?

って考えてしまいました。

 

この『踏ん張り』は、我慢や耐え忍ぶことを

指しているのではありません。

 

高圧的な言葉に反応しすぎることなく、

無駄に自分を落とすことなく、

冷静に言葉を受け止めるor返せる態度のことです。

 

怒られ慣れている?

それとも、

しっかりとした自尊心があるから?

威圧は置いといて、言葉だけを読み取れる力がある?

 

いまひとつ、この差がわかりません。

性格的なものなんでしょうか??

 

 

なぜ、こんなことが気になったかと言えば、

この『踏ん張り』が効く人、

私の中では、有能な人だと思っているんです(;^ω^)

 

 

例えば、

社外でも、社内でも、

 

私の中の有能な人って、

高圧的な態度にひるまず、一言、自分の考えを返せるんですよね。

 

自分の考えていることが相手にもわかりやすいし、

きちんと主張することができている。

 

でも、私は、相手に高圧的な態度に出られた時、

思わず、「すみません」と反射的に言ってしまってたり、

声が上ずったり、小さくなったりしてしまうんですよ。

 

それで、後で、

「いや、ちゃんと考えてやったことだし」とか

「あんなに下手(したて)に出なくても良かった」とか

思って後悔することがあります。

 

そのせいか、威圧的な態度に動じない人

(動じてないように見える人?)

は、ただただ尊敬してしまいます。

 

逆に、

この態度さえ身についてしまえば、

変な人間関係のしがらみとか、

大抵のことは乗り越えられる気がするんですよね。

 

 

威圧的な態度の人に、

「すみません・・・」とか、

変にへりくだってしまうと、

謝るなら、なぜやらない!!!などと思われて、

余計に言われやすくなってしまうと思いますしね。

 

 

 

怒りに敏感に反応しすぎない自分になりたい。

主張できる考えがある時は、

主張できる人でいたい!!

 

そもそも、無駄に威圧的な態度を取るのを

止めてほしいのが一番だけど(;^ω^)

人の感情の振れ幅を、

こちらでコントロールできるわけではないですからね…。

 

周りに反応しすぎない練習でも

始めようかと思います(*^^*)

 

では、また!

 

 

 

『自分軸』や『価値観』が見つからなかったアナタへ。見つけ方のヒント。

『自分軸』 や 『自分の価値観』 が

はっきりわかったらいいのに、いまひとつわからない。

 

そんなことってありませんか?

 

私は、考えること自体が好きなので、

 

私って割と几帳面なんだよな~

 

と思ったかと思えば、

 

いやいや、その割に家の中汚いし、、、

 

とか、イロイロとぐるぐる考えて、

 

結局、私という人間を表現するのは難しい、

という結論にたどり着いていました。

 

でも、今日、

通勤電車の中でこんな記事を読んだんです。

 

相反する2つが同時に自分の中に存在するということ

 

>> あなたの中に「無意識の自分」が!? ユングが示す心の全体像 | PHPオンライン 衆知|PHP研究所

shuchi.php.co.jp

 

この記事の中に、こんな文章がありました。

 

じつは自分の心の中には「読書好き」

という要素が存在していた。

 

では、それまで「意識していた自分」、

すなわち「読書嫌いの自分」というのは、

誤ったとらえ方だったのでしょうか。

 

そうではないと、ユングは説明してくれます。

 

この人にとっては「読書嫌いの自分」も

「読書好きの自分」も、両方「本当の自分」なのだよ。ーと。

 

人間には相反する2面が同時に存在していて、

どちらも「自分」だということですね。

 

『自分軸』や『価値観』を1つに絞る必要性ってある?

 

確かに、2面性があるのは、

わかっていたんですけど、

私は、それが、どうにも認めにくかったんです。

 

綺麗好きな自分もいるし、

大ざっぱな自分もいる。

 

まじめな自分もいれば、

ふざけた自分もいる。

 

全く、自分という人間を説明できやしない。

 

ふらふら軸の無い人間だなって

思ってしまっていました。

 

でも、相反するどちらも、全て自分だという

前提に立ったら、

 

私の『価値観』は何か?

『自分軸』はどこか?

の答えを1つに絞ろうとすること自体が

無駄なのかもしれないな、

と思いました。

 

価値観を持つなら、

「~しやすい」「~という傾向にある」

ぐらいで良いのかな?と。

 

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幅を持てるから応用が利く

1つに絞れないからブレる、

 

という見方もあるけど、

 

幅を持っているから、応用が利く

 

という見方もできますよね。

 

 

私の場合、ゼロか百かの極端さで

ものごとを考えがちなので、

『自分軸』や『価値観』は

もっと幅をもたせようと思っています。

 

 

そして、幅を持たせる為には、

 

考えて悩むような、机上の空論より、

実体験できる「日常」から考えていく方が、

私にはしっくり来ます。

 

過去の成功体験や嬉しかった体験から

自分軸を探してく方法がありますが、

私はそれがどうも苦手です。

 

例えば、

日々のあらゆる選択をする中で、

 

「今、私はなんでこの洋服を買いたいと思ったのだろう?」

「なんでこの仕事をこの方法でやろうと思ったんだろう?」

 

と、自分が、今、選んだ選択は

どんな考えでしたことなのか、メモしておいて

その共通点を探っていく方が、見えやすいです。

 

例えば、私が好きな食器は、

何が魅力だと感じて好きなのか?

 

・窯で焼かれた、

 大量生産されたものにはない、1点もの。

・いびつな形、土の感じ、複雑な色味。

・シンプルだけど味がある。

・長年培ってきた技術。

 

 

先日購入した時計は、なぜ購入したのか?

 

・飽きの来ないシンプルなデザイン。

・シンプルだけど洗練されたオシャレ感。

・時間を分単位で読める実用性。

・ベルトを交換することで表情を変えられるアレンジ性。

・仕事でもカジュアルでも使える多用性。

・老舗ブランド。

 

一見、何の共通性も無いだろうと思っていたことが、

実は、共通点があって、

 

私は、「シンプル」

「老舗(長年培ってきた技術)」ってことに

『価値』基準を置いているんだな~

ということが見えてきました。

 

『価値観』や『自分軸』を

そのまま、ストレートに、

『価値観』って何だろう?

『自分軸』って何だろう?

と、頭の中だけで考えるのは

実感が伴わないので、わかりにくい。

 

でも、

実際に今、やっていること、

やろうとしていること

に対して

 

なんでそうしたのか?

なんでそれを選択したのか?

 

そう問いかけていく方が、

『価値観』や『自分軸』は見つかりやすいな~

と思いました。

 

私は、

遠い昔の成功体験とか、

未来の理想像とか、

 

今、目の前に見えていないものを

想像することが苦手なので、

その方がわかりやすいのだと思います。

 

 

自分軸や価値観が絞り切れなくて

悩んでいた方に、少しでもヒントに

なれれば幸いです。

 

では、また!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アラサーにもなって泣いてしまう…。そこから見えてきた本当の自分。

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ここ最近、気づけば、よく泣く。

 

それは、

 

アラサーになったからか、涙もろくて…、

 

という、感動系の涙じゃない。

 

アラサーにもなって、

子供みたいな理由で泣いてしまう。

 

 

できない、ついていけない・・・泣けてくる。

 

つい先日、

カバン作りのスクールで、

私だけ、自分の力で縫うことが出来なかった。

 

ほとんどを先生に縫ってもらった。

 

このままじゃ、自分の為にもならない、

クラスの皆にも到底ついていけない。

 

そう考えて、

人数の少ないクラスへ移動させてもらおうと

先生に相談しに行ったら、

 

「大丈夫ですよ!ちゃんと見てますからね!」

 

と言われて、

みるみるうちに涙が込み上げてきた。

 

 

この前は、異動して間もない仕事で、

昇格試験を受けることになり、

自己PR文を書かなければならなくなった。

 

でも、

考えれば、考えるほど、

仕事の本質を捉えず、作業だけこなしている

自分の浅はかさを思い知らされるだけだった。

 

それでも、なんとか絞り出して書き、

提出するも、

案の定、PRの強さが足りないと言われた。

 

その後、

仕事の全体が見えていなくて、

何も言葉が出てきませんでした、と

伝えた。

 

そうしたら、個室に呼び出され、

 

何がわからないの?

わからないのは、私のせいだよ、ごめんね。

 

と言われて、泣けてきた。

 

 

実際には、アラサーにもなって

人前で泣くのは悔しいので、

 

涙目になったけど、

人前では必死に涙をこらえた。

 

そして、

帰り道、人がいないところで泣いた。

 

 

アラサーの「わからない」「できない」は認めてもらえないのか

 

 

クラスの他の人ができて、

私はできない。

 

5歳も下の後輩がわかるのに、

私はわからない。

 

わかってない、

できてない、

痛いほど、そう自覚してるのに、

 

「大丈夫、ちゃんと見てフォローしますから!」

 

「ちゃんとわかってるし、

もし、わからないことがあったら、

聞いていいんだよ」

 

っていう言葉が返ってくる。

 

 

 

 

自分の設定している目標が

高すぎるのかもしれないけど、

 

アラサーにもなると、

「わからない」「できない」なんて、

簡単には認めさせてもらえないんだ・・・。

 

自分では、わからないと思っていても、

もっと上を目指せと言われているようで

ツラかった。

 

わからないことが多すぎて、

どこを抑えたらわかるようになるのかもわからなくて、

 

まさに、

わからないところがわからない状態で、

言葉にならなかった。 

 

涙でわかる、本当の自分

後日、もう少し冷静になったところで、

 

涙を流すって、

相当、感情が動いている証しで、

 

普段見えにくい、本当の自分を

知るチャンスでもあると思ったので、

 

涙が出てしまったのはなんでだろう?と

考えてみることにした。

 

そうすると、こんな自分に気づいた。

 

アラサーなので、平然とわかったように装いつつも、

実は、結構なプレッシャーを感じて、

必死こいて、焦って、頑張っている自分。

 

そして、自分の中で理想としているところに

すぐに到達できないと、

自分を認めてあげられない自分。

 

いきなり「一流」を目指してしまう自分。 

 

周りと比較しない、と言い聞かせていても

やっぱり比較して落ち込んでいる自分。

 

こうやって、本当の自分を

冷静に見てみると、

自分の考え方のクセが見えてくるものですね。

 

今回の涙で、私が直したい考え方のクセは

コチラ↓

 

すぐに「一流」を目指さない!

 ⇒  一流までの小さなステップを踏み

   その小さなステップに到達した自分を認めること

 

 

やっぱり、経験から得られることは、

本やネットで読んで得られることより、

自分のものになりやすいですね。

 

また、同じような感情が沸き起こった時は、

自分で自分をなだめることができそうです。

 

焦らずに、少しずつ。

アラサーにもなって、新しいことに

チャレンジできる境遇に感謝して、

頑張っていきます!!

 

では、また!