行き過ぎてるポジティブシンキング。
最近、
そんな感情手放しちゃいなよとか、
悲しい感情とはもうさようならとか、
執着しないと
すごくポジティブシンキングな話をよく聞きます。
でも、そういう記事を読んだり、
話しを聞いたりすると、
ポジティブどころか、なんだかツラくなるんですよね。
そんなに簡単に気持ちを切り替えられないよ、って思ってしまうんです。
ポジティブに捉え直して、自分の気持ちはどこへ・・・?
例えば、マイナスをプラスに変えて、
すべてポジティブに捉え直すとかいうことで、
”怒られてツラい”ということを、
ツラいというマイナス感情ではなく、
怒られたのは成長のチャンスだとか、
怒られたのでは無く、私の為の指導だ、
というような ポジティブな方向に捉え直す、
なんていうポジティブシンキングをよく耳にする。
もしくは、不快なものから遠ざかるとか。
こういうことは、感情を引きずらない為には
必要なことだとは思うけど、
自分の「ツラい」とか「悲しい」という感情を
見ないようにしているみたいで、
小手先のテクニックだと感じてしまう。
まるで、悲しんだらダメ、ツラいと言っちゃいけない、
と言われているよう。
悲しんでも良い。
自分から自然にわいたマイナスの感情を
もう少し見つめても良いんじゃないかと思うんですよ。
なんでツラいと感じたのか?
どうして悲しくなったのか?
そう考えていくと、
”あー、私って上司に認められなくて悲しいんだ”、とか、
”悲しいと思ったけど、よく考えれば悲しむ必要なかったな”、とか、
自分の大事にしてるものに気づいたり、
自分の感情のクセや本音に気づいたりします。
そういう自分を認識してから、
その後に初めて、
プラスに捉えなおしたり、対処を考えたりしないと、
また、無駄に悲しんだり、
見つめなかった感情が爆発して、
そうなった時は対処する方法もわからない、
ということを繰り返してしまうんじゃないかと思います。
結局、何でも自分の捉え直しで終わらせてしまうと、
不当な要求も、理不尽な説教も、
全てO.K.になってしまいますしね。
自分の感情を見つめること=本当の自分を見つめること
自分に起こる喜怒哀楽は、
今の自分の中にある”基準”や”観念”から、
自分で意識するこもなく、自然に沸き起こる。
だから、この感情をみつめて理解することは、
本当の自分を理解するチャンスではないかと思います。
何をしたいかわからない、
自分が何を考えているのかわからない、
なんて思ってしまうのは、
もしかしたら、ポジティブシンキングが行き過ぎて、
本当の自分を見ないように見ないようにしてしまった結果
なんじゃないかと思うようになりました。
自分を変えるのも、
成長させるのも、
全ては「自分」をよく認識することから、ですよね。
それでは、また!