『どう生きたいのか?』答えを出す必要性はある?

『どう生きたいのか?』

最近、こればかり考えて疲れてしまった。

考えても考えても、
全然答えが出なくて、

そうこうしているうちに
何年も何年も時は過ぎる…。



『どう生きたいか?』
この質問に、
とにかく、何がなんでも
自分なりの『答え』がほしかった。


でも、先日、どこかの60歳代の教授が、
『この年になっても、どう生きるのが
良いのかわかってない』
ということを、おっしゃっていて、

そういえば、
私の両親なんかも
定年退職した後、
その後の人生をどうすべきか、
迷っているように思えたし…


案外、


私もこのまま、
ずっと悩んでいくのかもしれない、

人生ってそもそも
そういうものかもしれない、

そう考えるようになった。



もちろん、
私は○○で生きていく!
と、明確な答えを出せたなら、
それが1番いい。


でも、
これが私の正解かな?
いやいや、こっちの方が正解かな?
と、トライ&エラーを繰り返す、
そのこと自体が
人生なのかもしれない。


迷いながら
トライ&エラーを繰り返す人生を、
人は、
答えを出すことから逃げているとか、
自分から逃げているとか、
一生そのままで良いの?とか、
あおってくるけども、

あおられても、

もう私は
10年くらい答えが出ない。

これから先で答えが出せる可能性は
限りなく低いと思う。

だったら、

みつからない…
答えが出ない…

そう悩んで
自分を追いつめて、

いつまでも満たされず、
どこにいっても答えが出ない、
焦りと苦しみの中に
居続けるよりは、

人生は、そもそも
迷うものだと捉えて、
迷う過程を楽しむ。


人生は、
自分を喜ばせるモノ探しの旅、
と思う方が、ずっと気持ちが楽だ。


なんか楽しいことないかなぁ?
と、楽しげなことの
周辺をウロウロして、
やってみて、

これはつまんない、
これは楽しい、
と、

少しずつ取捨選択していって、

自分を楽しめるものを集めていく、
それが、人生なのかもしれない。



時を重ねるごとに
楽しいことは増え、

今よりも何倍もの数の、
楽しいことばかりが
私の回りに集まって、

人生の最後には、

自分史上最大に
楽しいことの数が増えている。

そんな人生も悪くない。


『どう生きたいのか?』
この答えが
これからみつかるかもしれないし、
みつからないかもしれない。

ただ、答えを探すことに
必死になりすぎず、
探す過程でさえ、
楽しんでしまいたい!

そう、考えています!

では、また!