飽きっぽいのを残念がる必要がなかった!ことに気づいた話。
何をやっても続かないし、
何一つ極められていない。
これが残念で残念で仕方なくて、
これだから私はいまだにモラトリアム状態なんだって、
ずっとずっと思ってました。
でも、この飽きっぽさは、嫌うものではなくて、
むしろ、強味なのだということに気づきました。
「マルチ・ポテンシャライト」と言うものらしい
飽きっぽさは才能。
そのことに気づいたきっかけは、こちら↓の記事です。
次々と興味が移ることは、強味であり個性として祝福すべきもので、
そういった次々と興味が移る傾向のある人を
「マルチ・ポテンシャライト」というらしいです。
この強味を持つ人は、
「アイデアの統合」「迅速な学習力」「適応力」
というスーパーパワーを備えているのだということです。
私の「飽きっぽさ」の歴史
私の飽きっぽさは筋金入りです。
小さい時から、水泳、ピアノ、習字、ガールスカウトなどを
やっていて、毎日何かしら習い事をしていました。
親の願いでやっていたものは習字ぐらいで、
後は私が希望して始めました。
高校生になると、受験の為に塾に通い始めるのですが、
ここでも飽きっぽさを発揮して、
次々と塾を変えたり、通信講座を始めたりして、
ついには教科ごとに塾や勉強方法が違うということに
なっていました(;^ω^)
アラサーになった今でも、
アロマセラピーのスクールに行ったり、
マクロビ、麹、プログラマー、WordPress、オーガニックスキンケアなど、
高いもので60万くらいするスクールにいくつも通いました。
けれど、今、
職業に生かせているかと言えばそんなことはなく、
今でも続けているものは特に無いです。
「飽きる」のは当然
よくよく考えてみれば、次々と興味が移っていくことは、
人間なら当然のことで、
もし1つのことにこだわりすぎてたら、
それは病気に近いものですよね。
極端なことを言えば、ラーメンが好きすぎて、
他に興味が移せなかったら、不健康になるし、
1つのことにこだわりすぎてたら、
人間に成長はあり得ないはず。
1つのことに集中できるのは、
それはそれで才能だし、天才だと思う。
だけど、1つ以外を許せなくなるので、
辛いかったり、生きにくかったりするんじゃないかな。
あれこれやって、無駄なものは1つも無い
上記でご紹介した記事の中で、こんなことが書かれています。
関心事の追求が時間の無駄になることはほとんどありません。
想像すらしていなかった形で、
その知識を他の分野に生かすことができるでしょう。
※天職なんて見つからなくてもいい理由とは? | ライフハッカー[日本版]
より引用
私はあれやこれやと手を出して、
結局、今何かに役立っているものは無いし、
続けているものも無いですけど、
今は、この言葉が信じられるんです。
手を出した1つ1つについて、
改めて、本当に好きじゃなくなったのかな?
何一つ意味が無かったのかな?と、
1つ1つ、丁寧に思い返してみると、
そんなことは1つも無いことに気づいたからです。
アロマセラピーは、香りが好きで始めたんですけど、
今はいつもアロマのことを考えている、という状態では
ありません。
でも、好きな香りを嗅ぐとやっぱり好きだな~と思います。
マクロビは、その食生活をずっと続けていこうとは
思えなかったけど、お肉などの動物性食品を使わなくても
充分満足できる食事があることを教えてくれました。
プログラミングは、結果的に向いてないと気づけたし、
WordPressは一旦やめてしまったけど、いずれ再開させるつもりです。
何も役立たなかった…と思っていた1つ1つが、
今の私の中に少しでもあって、
生かされているものもあって、
無駄なものは1つも無いと、改めて気づかされました。
与えられたことをこなすことに慣れてしまうと、
「好きなこと」「ワクワクすること」に鈍感になってしまう。
そんな中で、「好きだ!」「ワクワクする!」というものに
出会えたそのことだけでも、とても貴重なことだと
思っています。
皆さんの「好きなこと」「ワクワクすること」は何ですか?
では、また!